人類持続の社会規範(内藤 正明:MailNews 2015年1月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2015年1月号の記事に、一部加筆修正を加えたものです。

◇◇◇◇◇◇◇◇

これまでは素人が経済のことを書いてきたが、今回はもう少し広く「世界とは、社会とは」に戻って論じてみたい。そう思った契機は、我ら(荒田事務局長と私)が尊敬して止まない市川惇信先生が最近書かれた「進化論的世界観1)」を読んだことにある。難しい内容なので十分に理解できたわけでないが、何とか分かった(ような気がする)部分で、皆さんにも興味深いだろうと思える箇所を紹介してみる。

 

科学の方法

本書の中心課題は「対象に観察される事実は、普遍的な法則により組織化される」という“近代科学の方法”によって、自然科学の対象(宇宙から地球生態系まで)と社会科学の対象(社会経済から人間まで)のまさに森羅万象すべてを、一つの法則により説明(組織化)するという提案である。他の誰かがこのような大きなテーマを掲げたら眉つばだろうと思うが、市川先生なら何の疑いもなく学んでみる価値があると思ったものである。

なおここで「科学の方法」とは、「モデルを形成し、その検証のためのループを回すこと」であると定義される(このあたりはシステム解析の末席で仕事をしてきた一人として大凡理解できる積りだが…)。この作業の手順は、①これまでの信頼できる観察事象を説明するモデル(代表的なのは数理モデル)を作る、②これを使って新たな条件での結果を推論し、同時にその条件下での観察をする、③この両者に矛盾が無い場合、この条件下でモデルは“偽”でないということになる。こうして、モデルは次第に拡張され確からしさを加えていく。(なお、「眞であるモデル」は永久に得られない。)

 

科学的世界観

上のようにして作られたモデルを使って、「ある原因がどのような結果を生じるかを推定する」ことが科学の役目である。ある対象を理解したというのは、この対象の因果律を推定するモデルを得たということである。普通に「彼のことは分かった」などと簡単に言っているが、では“分かった”とは本当は何のことを言っているのか、というのは結構難しいことである。本書では、知識のレベルを、「知っている」→「区別できる」→「説明できる」→「予測できる」の4段階としている。

この科学の方法によって、宇宙、生態系、社会経済、人間という森羅万象の変遷過程が、すべてに共通した「進化モデル」によって記述されることが、市川先生の本著の要であると理解する。なお、これは生物の進化に類似であるとして、「揺動体の存在」と「相互作用の存在」であると定義している。難しい用語であるが、生物進化における「突然変異」によって様々な変異種が発生し、それが生存環境に適するかどうかで選択される「適者生存」に対応すると考えればいいのだろう。

この進化モデルが成立する世界を「進化論的世界」と称するなら、その世界は「物質界、生物界、人の社会」に普遍的に存在するので、世界はすべて進化論的世界といえる、というのがこの市川先生の提起された結論だと思う。また、それぞれが進化モデルに従うが、物質界と生物界などが互いに影響を及ぼし合いながら「共進化」することが普通であるのは、よく知られたところである。

 

神と人類持続の関係

科学的な因果律モデルを持つ以前の人間は、不可解な出来事を神の意思とすることで心の安寧を得た。特に「宇宙の最初、人間の最初」は科学では説明できないので(この部分の表現は原著には無い)、天地創造説や国生み神話がそれを与えた。最初があれば、その後の変化過程は先の二つの条件の下に、進化過程に従って変遷し、今日に至ったことは「進化モデル」によって辿ることができる。ただし、世界の変化過程は科学のモデルですべて推定されるわけではない。それは震災などの自然の脅威に見るとおりであるので、未だ神の存在は続いている。

厳しい自然や民族間抗争の環境では、生き延びるために神の厳格な教義を必要とし、その結果、戒律の厳しい唯一神が語る正義の下でのルールで社会が統合される。しかし、日本のように、多神教に留まる宗教を持ち、神の正義に依存しない穏やかな社会では、宗教は日々の生活に何かをもたらしてくれることを願う“信心”のレベルで機能しているそうである。このことは決して日本教!を否定するものではなく、実はこれからの人類が生き延びる世界統合の途ではないかと提起されている。その理由はとても興味深いので、著書の記述をほぼそのまま引用してみよう(なお、下線部分は私が加えた言葉である)。

「普遍と信じる正義の下で固定した理念にとらわれ抗争を続け、敢えて社会を崩壊させる行動規範に較べて顕著な利点である。」

「世界には仮構して作られた異なる正義の体系が複数ある。しかし、すべて共通する正義の体系を理論的に作ることはできない。K.アローの一般不可能性定理は、社会全体としてどれが好ましいかを定める合理的な社会選択の方法は存在しないことを証明している。」

「このことを考えれば、一つの正義のみを選んで他を排除するよりも、たえず両立化を図って決定をする方法が平和に資するといえる。」

と主張されている。このところの世界情勢をみていると、この言葉の意味が痛切に理解されるのではないか。

「足して2で割る」とか「両方の顔を立てる」とか、どちらかといえば良くない意味で評価される日本的な意思決定法だが、多様な人類社会が共存していくための唯一の知恵ではないかと、「一般不可能性定理」から説き起こした市川先生のお墨付きで、これからは日本的な合意形成の仕方を再評価していいのだと自信をもらった気がしている。

 

参考文献
  1. 市川惇信,科学の眼で人の社会を観る 進化論的世界観,東京図書出版,2014.11.

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

◇◇◇◇◇◇◇◇

KIESS MailNews は3ヶ月に1度、会員の皆様にメールでお送りしている活動情報誌です。

KIESS会員になっていただくと、最新のMailNewsをいち早くご覧いただくことができ、2ヶ月に1度の勉強会「KIESS土曜倶楽部」の講演要旨やイベント活動報告など、Webサイトでは公開していない情報も入手できるほか、ご自身の活動・研究の紹介の場としてMailNewsに投稿していただくこともできるようになります。

詳しくは「入会案内」をご覧ください。