景気回復は何をもたらすか?(内藤 正明:MailNews 2013年4月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2013年4月号に掲載したものです。

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アベノミクスのその後

先回は、紙幣大増刷で景気が一気に良くなったようだが、それですべて万歳なのか。その先行きを占う、ということで書き始めました。しかし、経済のことを少し勉強したぐらいでは、とても理解はできないので、今回までに勉強するということで時間稼ぎをさせてもらいました。それで、結果はどうだったのかと問われると、益々分からなくなったとしかいいようがありません。時あたかも、日銀副総裁になった岩田規久男さんとは昔一緒に研究プロジェクトで仕事をしたことがありましたが、そのときに「国の借金というのは問題ないの?」と素人質問をしたことがあります。そうすると、「それは国民のお金で、それに金利が付いて国民に還元されるので、大丈夫。」というような返事が返ってきたように記憶しています。環境研究の集まりだったので、その立場ではどうなの?と重ねて尋ねるべきだったと残念ですが、いまさら副総裁になった人に聞きにくいですね。ということで、国債の発行は問題ないと主張してきた人なので、今回の大役に選ばれたのかなと想像しますが。

さて、経済のにわか勉強している間に、現実はどんどん進行して、株は上がり、円安が進んで輸出は伸び、早速企業がベースアップやボーナスの増額をして、まさに安倍大明神様々という感じです。その結果、内閣支持率は小泉時代を抜いたとのことです。このままどんどん皆が喜ぶ方向に進んでいくのでしょうか。実は、決して手放しで万歳を叫んでいるわけにはいかない、という意見も沢山聞かれます。それはどのようなことなのでしょうか?

 

アベノミクスの3つの課題

経済を活性化してGDPを拡大するというのが、どのような問題をもたらす可能性があるかという、これまでの議論を素人なりまとめると、それは大きくは三つに整理されるかと思います。

一つ目は、脱デフレへのアクセルを踏むと、そのままインフレへ突き進む可能性があるということです。その方が怖いというのは、終戦直後に子供であった我が世代では、意味も分からずインフレという言葉はトラウマなっています。アクセルの微妙な踏み具合を、岩田さんなどがしてくれるかが心配ですが、発言からすると、目一杯踏み込むのだという印象ですね。

二つ目は、景気が良くなると、その恩恵を受ける階層と割を喰う層の格差が、より大きくなることです。そこは配分政策によって調整されるはずですが、そもそも景気を良くすることを声高に主張し、それを政策化する政治家の人達はリバタリアン系なので、自己責任という言い方で公的な関与には否定的なサッチャリズムの立場です。まさに適者生存の法則の信奉者ですが、実は経済システムも生態系と同じく“進化”の法則に従うというのが市川淳信先生の主張であって、どちらのシステムも一度スタートすると、進化の法則に従って自動的に進むので、その方向は変えられないということでしょうか。

その意味でも、弱肉強食で格差の拡大は行き着くところまで行くかもしれません。ただし、進化を左右するものに外的条件つまり環境があるというのは周知のことで、巨大隕石の衝突が恐竜の絶滅を引きおこし、小型のほ乳類の繁栄を可能にしたといわれています。何だか、今回の大震災が巨大技術の限界を明らかにし、地域の適正技術や地域産業の大事さを認識させたのと似ているように見えませんか。

三つ目こそが、我々環境屋の出番です。つまり、環境変化が否応なしに進化の方向を変えるとしたら、大事になってくる課題です。つまり、近代経済学の理論には“資源と環境”の制約は無視ないしほとんど重視されていませんが、いまやその制約が極めて厳しくなっている、というのが環境とエネルギー屋の主張です。だから、それを考慮しない理論は成り立たないという「エコロジー経済学」といった説が出てきましたが、まだメジャーにはなり得ていないのは、世の中を動かしている人達は、それとは反対の立場にあるからです。

 

アベノミクスが内包する3つの相克

いつも言ってきたとおり、金が流れるとそれにほぼ比例してモノが逆方向に流れるのが経済ですから、勢いよく金を流せば、勢いよくモノが消費されてGDPが増え、これと比例して資源とエネルギーが消費されます。その結果がまた、ゴミや二酸化炭素として環境に放出されます。その深刻さをどの程度だと考えるかで、経済の立場が大きく変わります。一時高まった温暖化への関心も、いまは経済再生のかけ声の中で、国の政策の優先順位が大いに下がっています。

このように、「環境と経済」の間の相克という、古くて新しい議論に加えて、第2の「持てる者と持たざる者」の間の相克、さらに第1は「インフレとデフレ」の間の相克と言えば、結局アベノミックスには、これら3種のコンフリクト(相克)が課題として内包されているといえるでしょう。

どのような行動にもプラスとマイナスがあることは以前の文章にもかきました。結局は、その狭間の中でどこを選ぶかが、どんな意思決定にもつきまとう課題であります。もしどちらかが満点であるような選択肢があるなら、それは議論の対象にもならないはずです。アベノミクスもその一つで、主にこの3つの相克の中で最適値を選ぶことになるのでしょう。その評価基準は、いま直ぐに結果がでるのもと、結果が見えるまでに相当時間がかかるものがあるので、判断がより難しいことになります。

 

新たな幸せを求めて

結局、アベノミクスで経済を活性化することを一途に求めることには、様々な危惧や相克があることは確かなので、私達(清く貧しい人種?)は何を選択すればいいのでしょうか。議論をしても明確な結論は出ないので、要するに自分はどちらが好みか、という言わば「眞でも善でもない」、「美?」の世界で選択することになるのかもしれません? その時に必要になってくるのが、経済指標ではなく、新たな“心の豊かさ”とでもいう目標です。そこで、幸せ指標というものが話題にされるようになりました。

では、幸せ指標とはどのようなものでしょうか? ブータンの指標が有名になりましたが、最近、枝廣淳子さんが「GDP追求型成長から幸せ創造へ」という著書1)を出されました。その中で、経済学の主張と幸せ指標の関係を整理されていますが(図1)、結論はまだまだ経済指標以外の幸せを主張する経済学は、主流になり得ていないということであります。

 

図1:近い将来におけるニュー・エコノミクスの概念の発展に対する
地政学的問題の影響(枝廣ら1)より)

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そもそもアダムスミスの時代から、貨幣価値だけで人々の満足を測ることには、無理があることは理解されていたが、分析するにはそのような使用価値を扱うのは難しいので、計算に乗りやすい交換価値だけで理論を作ってきたということです。

これは、他の分野でもしばしば聞かれる状況で、生態学はかって人間を除外して学問体系を作ってきたので環境問題には役立たず、農学もまた「農学栄えて農業滅ぶ」という言葉が示唆するように、現場の農業には役立たない学問であるということを皮肉っているのでしょう。

つまり、どのような学問、科学というのも、それぞれに扱いやすいところを切り取って進歩してきたので、実際の社会には役立たないことも多いということなのでしょう。

さらに現代では、科学や学問が切り取った閉じた世界だけで大きく進歩して、一方ではそれを受け止める社会が一層複雑多様化してきたので、却って学問が害をなす場面が出てきたということでしょうか。

ということで、「清く貧しい派」や「資源・環境派」は、正統派経済学からは異端だと言われて、少数派に止まっているので、経済至上主義を脱する世論も盛り上がらない。しかし、若い世代の直感が実際に事態を変えつつあることは確かですので、正統派を名乗る経済学も、「経済学栄えて経済滅ぶ」 といわれるようになるのではないでしょうか。

人の本性からは自然にはそうはならないというのが、進化の法則かもしれませんが、実は外的な環境条件がそれを受け入れざるをえないことになるというのが、前々から主張していることで、それに備えて「適応」する社会を作っておこうというのが結論です。ただし、それは起こらなかったら、損だと考えるかどうかですね。それについては、さらに次回以降に述べたいと思います。「次週公開、乞うご期待」。

 

図2:持続可能な社会が求められる背景と持続性の概念

1304_naito_fig2

(作成:金 再奎)

 

参考文献
  1. アラン・アトキンソン,枝廣淳子(共著):GDP追求型成長から幸せ創造へ ~グリーン経済とそのあとに来るもの~,武田ランダムハウスジャパン, 2012.

 

(ないとう まさあき:KIESS代表理事・京都大学名誉教授)

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