過去への眼差し:博物館大国ドイツを旅して(荒田 鉄二:MailNews 2013年1月号)

※ この記事は、KIESS MailNews 2013年1月号の記事に、一部加筆修正を加えたものです。

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ペルガモン博物館のイシュタル門(2007年撮影)

 

昨年(2012年)の秋にドイツに行く機会がありました。その時に感じたのが、ドイツはいたるところに博物館が多く、しかもそれが観光資源になっているということでした。今回は、以前に訪問したものも含めて、幾つかの博物館とドイツの博物館事情を紹介したいと思います。

 

負の歴史を伝える博物館

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旧東ドイツの国民車トラバント(ドレスデンで2007年撮影)

 

ベルリンの博物館といえば、博物館島にあるペルガモン博物館、新博物館、ボーデ博物館、旧ナショナルギャラリー、旧博物館などが有名でしょう。しかし、この他にもベルリンにはDDR博物館や壁博物館など、ドイツならではの博物館が多数あります。DDR博物館は旧東ドイツの日常生活に焦点を当てた博物館で、入口すぐのところに展示されているトラバントの他、レトロなデザインの旧東ドイツブランドの日用品や家電製品が展示されており、それらを通して旧東ドイツの日常生活を体験できるようになっています。一方、壁博物館はベルリンの壁に関するシリアスな博物館で、壁建設の様子から西側に脱出するために使われた気球など、ベルリンの壁にまつわる様々な資料や映像が展示されており、壁による分断の悲劇を伝える事がテーマとなっています。

この壁博物館に限らず、負の歴史を伝える博物館が多いこともドイツの特徴ではないかと思います。まだ行ったことはないのですが、ベルリンにあった旧東ドイツ国家保安省(秘密警察:略称シュタージ)の本部は、シュタージ・ミュージアムとして公開されています。東西ドイツの統一期に大統領だったワイツゼッカー氏は、ドイツ降伏40周年に当たる1985年5月8日の連邦議会における演説で、「過去に眼を閉ざす者は、未来に対しても盲目となる」と言ったそうですが、ドイツにはナチスの犯罪行為に関する博物館が数多くあります。

昨秋に訪問した中で最もユニークだったのがベルリンの地下世界博物館(Das Berliner Unterwelten-Museum)です。これは第二次世界大戦期の防空壕(ブンカー:Bunker)を博物館にしたもので、ベルリン地下世界協会という民間非営利団体が運営しています。この博物館の見学は5つほどあるガイド付きツアーのみで、私は約90分間のツアー1に参加しました。ガイドの説明によると、ヒトラーはベルリンが実際に爆撃されるとは考えておらず、防空壕の建設は国民に対して戦争の危機を煽ると同時に安心させるための政治的プロパガンダだったとのことで、構造的にも爆弾の直撃に耐えるようにはなっていませんでした。また、ベルリン全体の防空壕の収容人数も人口の10%程度しかありませんでした。このため、ベルリンが実際に爆撃されると、防空壕は大混雑になりました。このような防空壕を管理するため、各所の防空壕にはブンカーポリスと呼ばれる人たちが配置され、防空壕の扉の開け閉めや避難者の管理・誘導に当たっていました。ブンカーポリスになったのは、ナチスの支持者ではあるが戦場に行くには年を取りすぎた老人たちでした。防空壕内は、子供連れの母親のための部屋など幾つかの区画に分かれていて、それがトンネルで結ばれています。そのような区画の1つにブンカーポリス待機室があり、その壁には光を吸収して蓄える事の出来る塗料が塗られていました。このため平常時に電灯を点けて壁に光を蓄えておけば、爆撃で停電しても壁が光る事により1時間程度は部屋を明るく保てたそうです。驚いたのは、60年以上経った現在も、この塗料が効果を発揮していることで、ツアーの途中で参加者の1人に壁際に両手を挙げて立ってもらい、目をつぶってもらってからカメラ用のストロボを光らせ、それから部屋の電気を消すと、光を発する壁に両手を挙げた参加者の陰が映っていました。ガイド付きツアーのチケット売り場は地下鉄ゲズントブルンネン駅の南側出口を出てすぐのところにあり、ベルリン地下世界博物館への入口は、そこから地下鉄のホームへ向かって下りていく階段の途中にある何の変哲もない鉄の扉でした。入るときには気が付かなかったのですが、出てから振り返って見ると、「ベルリン地下世界」と小さく表示してありました。

 

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地下鉄の階段途中にあるベルリン地下世界博物館入り口(2012年撮影)

 

産業遺産の博物館

産業遺産関係の博物館が多いのもドイツの特徴といえるでしょう。昨秋はドイツ西部のエッセンにあるルール博物館とドイツ中部ハルツ地方のゴスラーにあるランメルスベルク鉱山博物館を訪問しました。

 

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ルール博物館入口正面の建物(2012年撮影)

 

エッセンはドイツの鉄鋼王ともいえるクルップ財閥の本拠地で、ルール工業地帯の中心都市として発展しました。しかし、石炭・鉄鋼産業の斜陽化と共に地域全体が衰退の道を辿って行きました。このため、エッセン市は「石炭と鉄のまち」からの脱却を模索することとなり、そこで力を入れた分野の一つが観光でした。ルール博物館は、エッセン最後の炭鉱として1986年まで操業していたツォルフェライン炭鉱の跡地を利用したもので、入り口の正面には、バウハウス様式で建てられ「世界で最も美しい炭鉱」といわれた炭鉱の建物がそびえ立っています。ツルフェライン炭鉱跡は産業遺産として世界遺産に登録されており、ガイド付きのツアーでかつての炭鉱施設を見学することができます。残念ながらツアーはドイツ語のみのため参加しなかったのですが、ガイドはかつて実際に炭鉱で働いていたシニアの方が務めていました。博物館内にはルール地方の自然、歴史、文化を展示したフロアもあり、朝から多数の見学者が訪れていました。

 

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ランメルスベルク鉱山のガイドツアーの様子(2012年撮影)

 

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ブロッケン山頂近くの霧の中を走るハルツ狭軌鉄道(2012年撮影)

 

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霧のブロッケン山頂(2012年撮影)

 

人口4万人ほどのゴスラーは、10世紀頃から鉱山のまちとして繁栄してきました。その繁栄を支えたのが1988年まで操業を続けていたランメルスベルク鉱山でした。ここでは、作業用トロッコに乗って鉱山に入り、閉山近くまで採掘の行われていた坑道を見学するツアーに参加しました。ここのガイドもかつて実際に鉱山で働いていたシニアの方が勤めていたのですが、その声の大きさにビックリしました。ツアーの途中で岩にダイナマイトを埋め込むための穴をあける削岩機を動かす実演があり、それでガイドの声の大きさに納得がいきました。削岩機に限らず鉱山内で使われる機械の音はもの凄い音で、長年鉱山で働いていると、耳をヘッドホンのようなもので覆って保護しても次第に耳が遠くなり、自然と話し声も大きくなってしまうのだと思います。このランメスベルク鉱山もゴスラーの旧市街とともにユネスコの世界遺産に登録されています。

 

小さなまちの博物館

ゴスラーは小さなまちですが、それでもランメルスベルクの他に、メンヒェハウス(近代美術館)、楽器と人形博物館、ゴスラー博物館(ハルツ地方の自然と歴史を展示)、ツヴィンガー博物館(中世の武具や拷問具を展示)などの博物館があります。そしてハルツカードという地域カードを買うと、これらの博物館がフリーパスになります。ハルツカードには48時間用(27ユーロ)と4日間用(54ユーロ)があり、私は48時間用を買ったのですが、後で気づいてみると4日間用の方が得でした。このカードはハルツ地方の広い範囲で使う事が出来ます。私は隣町のヴェルニゲローデから蒸気機関車の引くハルツ狭軌鉄道に乗ってブロッケン現象で有名なブロッケン山頂まで行ったのですが、4日間用を買えばハルツ狭軌鉄道(往復29ユーロ)もフリーとなります。もし鉄道ファンでハルツ狭軌鉄道に乗ろうという人がいたら、4日間用のハルツカードを買うことをお勧めします。ブロッケン山の山頂にはブロッケン山を含むハルツ地方の自然や魔女伝説に関わる歴史等を展示したブロッケン博物館があります。

 

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ダニエルの塔から見たネルトリンゲンの町(2012年撮影)

 

次はドイツ南部のロマンチック街道沿いにある人口2万人弱の小さな町、ネルトリンゲンです。ネルトリンゲンには町を囲む円形の城壁が完全な形で残っており、中世都市の姿を今に伝える貴重な存在です。この町全体が博物館ともいえるネルトリンゲンは地形的にも貴重な存在で、周辺1,800km2のエリアがジオパーク(Geopark Ries)となっています。それはネルトリンゲンが1500万年前に隕石が衝突して出来た直径25kmのクレーターの中心近くにあるためで、城壁に囲まれた旧市街の中心にある聖ゲオルク教会の塔(ダニエルの塔)に登ると、クレーターであるリース盆地全体を見渡す事が出来ます。アメリカのアポロ14号と17号の宇宙飛行士もクレーターの地形を学ぶトレーニングをネルトリンゲン周辺で受けたそうで、市内のバルディンガー門近くの城壁沿いにあるリースクレーター博物館(Rieskrater-Museum)には、アポロが持ち帰った月の石が展示されています。ネルトリンゲンにはこの他に、考古学的資料や市の歴史、芸術作品を展示した市博物館(Stadtmuseum)があるのですが、このような博物館はどの町にも必ずあります。

 

博物館を観光に活かす工夫

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画家のデューラーが住んでいたデューラーハウス(2012年撮影)

 

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ナチの記録を保管しているドク・ツェントルム(2012年撮影)

 

博物館の多いドイツでは、博物館を観光に生かす工夫もされています。画家のデューラーで有名なニュルンベルク(人口50万人)では、ツーリスト向けに2日間有効のニュルンベルクカード(21ユーロ)があり、これを買うと市内の約50の美術館・博物館と市内交通(路面電車、地下鉄、バス)が2日間フリーパスになります。私はこれを使って1日目にカーザーブルク城、デューラーハウス、ゲルマン国立博物館を見学し、2日目にはドク・ツェントルム(Duku-Zentrum)とDB博物館(鉄道博物館)を見学しました。ドク・ツェントルムというのはドキュメント・センターという意味で、ナチの犯罪行為に関わる記録が保存されているところです。場所はニュルンベルク中央駅から路面電車で10分ほどのところで、かつてのナチ党大会が開催された会場の跡地にあります。

ドイツでは、ハルツカードやニュルンベルクカードのような地域カードがそれぞれの地域で発行されていて、それで美術館・博物館がフリーパスになるだけでなく、多くの場合に市内の公共交通がフリーパスまたは割引になります。このようにドイツでは、博物館を観光資源として活かす工夫がされており、これは日本でも取り入れていいように思いました。私の住む鳥取県には、県内の路線バスが3日間乗り放題になる「鳥取藩のりあいばす乗放題手形」(1800円)というのがあるのですが、これに美術館・博物館のフリーパスを付けたら、クルマに乗らない私のような人間にはかなり魅力的だと思います。

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ハルツカードとニュルンベルクカード

 

誇りとトラウマ

ドイツ政府観光局の日本語ホームページによると、ドイツには4,000以上の博物館・美術館があるとのことです。これに対し、日本の博物館数は、政府の「社会教育調査」によれば2008年現在で1,248館となっています。2011年の日本の人口が約1億2,800万人であったのに対し、同年のドイツの人口は約8,200万人でした。ここからドイツの博物館数を4,000として人口100万人当たりの博物館数を計算すると、ドイツは48.8館、日本は9.75館となり、人口当たりではドイツの方が日本より5倍ほど博物館が多いことになります。

それでは、どうしてドイツには博物館が多いのでしょうか。一つの理由としては、北ヨーロッパに位置し寒さの厳しいドイツでは、冬には屋内で過ごせる博物館・美術館が重要な余暇空間になるということがあると思います。

そういう理由があるにしても、ドイツに行って感じるのが地域の歴史を伝える小さな博物館が多いということです。ドイツは、スペイン、イギリス、フランスなどに比べれば近代的な国民国家に統一されるのが遅く、中世以来の領邦国家の連合体である時代が長く続きました。そのような状況下で、地方領主や教会の支配から脱し、神聖ローマ皇帝(ドイツ皇帝)直属の都市として一定の自治権を認められた帝国自由都市が生まれていきました。町を囲む城壁は帝国自由都市の証のようなもので、ネルトリンゲンもそのような帝国自由都市の1つでした。このような町に行くと、たとえ現在は小さな町であったとしても、町の入口の城門や市役所の正面ファサード、観光パンフレットや町の地図など、いたるところに帝国自由都市を意味する“Freie Reichsstadt”あるいは“Reichsfreistadt”という表記を見かけます。これはドイツの人たちが抱いている自分の生まれ育った地域の歴史に対する誇りの現れといえるでしょう。

もう一つ、ドイツで特徴的なのが、強制収容所跡などナチスの戦争犯罪に関連する博物館の多いことです。エックハルト・ハーンさんは、昨年5月に鈴鹿で開催されたシンポジウムで「フクシマとドイツのエネルギーシフト」という講演をされた際に、ドイツの人たちが一極集中的な巨大システムを避けようとする理由について、「ドイツ人にはナチスの歴史に対するトラウマがある」ということを言っていました。ドイツ人ではない私がこのトラウマを正確に理解しているかどうか自信はないのですが、多分ドイツの人たちは「油断していると、また同じ過ちを犯してしまうかもしれない」という、自分たち自身に向けた恐れを強く抱いているのだと想像しています。そして、過ちをくり返さないための最良の方法は、過去を常に眼前に置いておくことであるということから、負の歴史を伝える博物館がドイツ全土に数多く作られてきたのだと思います。(穿った見方をすれば、ドイツの人たちはナチスのトラウマから国という単位で自分たちの歴史を誇ることに躊躇いがあるため、それぞれにナチス以前の地域の歴史に誇りを見出しているのかもしれません。)

博物館は数が多ければいいというものではなく、中身の質も大切です。この点に関しても、私の経験の範囲では、「ドイツで博物館に入ったけど、つまらなかったのですぐに出た」という例はなく、ドイツの博物館は内容的にも充実していました。そして、ドイツの博物館が充実している背景には、良い事も悪い事も含めて自分たちの歴史を次の世代に伝えていこうとする、ドイツの人たちの強い思いがあるように感じました。未来のために過去を大切にする博物館大国ドイツの姿勢には、見習うべきものがあるように思います。

 

(あらた てつじ:KIESS事務局長・鳥取環境大学准教授)

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